2006年 05月 11日
06年05月ビラより2
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学生の声 - 1 -
<侮蔑> との闘い
立命館大学の皆さん。このチラシを読んでどんなことを考えましたか。
GUが訴えているこの問題を、僕は大学の構成員の一人としてきちんと判断する必要があると思い、先日この審問の傍聴に参加するため、エル大阪というところまで足を運びました。そこでのやりとりを聞いて思ったことは、外国人や女性、非正規雇用者への〈侮蔑〉がこの問題の根っこにはある、ということです。
この〈侮蔑〉という言葉について、フランス文学を研究されている鵜飼哲さんは、『泥棒日記』などの著作で知られる作家ジャン・ジュネを引きながらこんなことを述べられています。「差別の思想は隷属を合理化し、〈侮蔑〉を当然視するために生産され、維持される。その結果、隷属の事実そのものまでが、抑圧者の側の社会では知覚されなくなる。こうして〈侮蔑〉は、一見罪のない無知の衣をまとう」。
侮蔑という言葉が、その時あまりピンとこなかったぼくは、すぐに辞書を引いたのですが、広辞苑によれば、「他人や事物を、あても無いかのように侮り軽んずるさま」だそうです。特に、ないがし蔑ろ、という言葉は、もともと無キガシロ(代)の音便で、「無いも同然の意」だそうです。鵜飼さんは、現在マスコミで盛んに報道されている沖縄.辺野古への新基地建設を念頭に置きながら、「国の安全保障」の大儀の前に、「無いも同然」にされる沖縄や辺野古の状況を表現するためにこの言葉を用いたのですが、GUの問題にも、同様の発想が見え隠れしないでしょうか。つまり、たとえ労基法や「平和と民主主義」という教学理念に反していようとも、非正規労働者であれば自由に使い捨てようとするその姿は、「大学経営」という大儀の前ならば、立場の弱い者たちを「無いも同然」に扱っていい、という〈侮蔑〉の体現でしかない、ということです。
僕はこのようにこの問題を考えましたが、あなたはこの問題、どう考えますか。
立命館大学学生
06年05月のビラ全体(PDF)はこちら
<侮蔑> との闘い
立命館大学の皆さん。このチラシを読んでどんなことを考えましたか。
GUが訴えているこの問題を、僕は大学の構成員の一人としてきちんと判断する必要があると思い、先日この審問の傍聴に参加するため、エル大阪というところまで足を運びました。そこでのやりとりを聞いて思ったことは、外国人や女性、非正規雇用者への〈侮蔑〉がこの問題の根っこにはある、ということです。
この〈侮蔑〉という言葉について、フランス文学を研究されている鵜飼哲さんは、『泥棒日記』などの著作で知られる作家ジャン・ジュネを引きながらこんなことを述べられています。「差別の思想は隷属を合理化し、〈侮蔑〉を当然視するために生産され、維持される。その結果、隷属の事実そのものまでが、抑圧者の側の社会では知覚されなくなる。こうして〈侮蔑〉は、一見罪のない無知の衣をまとう」。
侮蔑という言葉が、その時あまりピンとこなかったぼくは、すぐに辞書を引いたのですが、広辞苑によれば、「他人や事物を、あても無いかのように侮り軽んずるさま」だそうです。特に、ないがし蔑ろ、という言葉は、もともと無キガシロ(代)の音便で、「無いも同然の意」だそうです。鵜飼さんは、現在マスコミで盛んに報道されている沖縄.辺野古への新基地建設を念頭に置きながら、「国の安全保障」の大儀の前に、「無いも同然」にされる沖縄や辺野古の状況を表現するためにこの言葉を用いたのですが、GUの問題にも、同様の発想が見え隠れしないでしょうか。つまり、たとえ労基法や「平和と民主主義」という教学理念に反していようとも、非正規労働者であれば自由に使い捨てようとするその姿は、「大学経営」という大儀の前ならば、立場の弱い者たちを「無いも同然」に扱っていい、という〈侮蔑〉の体現でしかない、ということです。
僕はこのようにこの問題を考えましたが、あなたはこの問題、どう考えますか。
立命館大学学生
06年05月のビラ全体(PDF)はこちら
by gurits
| 2006-05-11 07:03
| ニュース・ビラ

